1
加茂市|青海郷の記憶を受け継ぐ、山と川のまち
加茂市は、青海郷の歴史を現在へ伝える中心の一つです。加茂山の麓に鎮座する青海神社は、青海郷を開拓したと伝わる青海首一族が、祖神である椎根津彦命と大国魂命を祀り、神亀3年(726年)に創建したとされています。青海郷は、田上の五社川から三条の井栗、保内に至る23箇村であったと伝えられ、現在の加茂市・三条市・田上町にまたがる歴史的な文化圏でした。
加茂では、山から流れる加茂川が市街地を貫き、やがて信濃川水系へつながります。人びとは山の恵みを受け、川を交通と暮らしの基盤としてきました。加茂の桐箪笥は、江戸時代から続く木工文化の象徴です。桐を生かす技術は今日まで受け継がれ、加茂は全国有数の桐箪笥産地として知られています。
青海神社には、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社)の御分霊を祀る歴史も伝わります。神社の由緒によれば、桓武天皇の平安京遷都にあたって京都賀茂社の神領となり、延暦13年(794年)に御分霊を併せ祀って「加茂大明神」と称するようになったと伝えられています。古代から続く土地の信仰、京都と結ばれた歴史、加茂川が育んだ人と物の往来、木工の技術、祭礼と花火。加茂は、歴史が建物や記録の中だけに残るのではなく、祈り、仕事、暮らしの中に生き続けるまちです。
THOU(SA)NDSは、この加茂を青海郷の起点として見つめます。1300年の歴史を記念するだけではなく、山、川、信仰、手仕事、人の営みを、これからの文化として次の世代へ手渡していくために。
2
三条市|川と火が育てた、青海郷のものづくり
三条市は、現在の行政区分では加茂市・田上町と別の自治体ですが、歴史的には青海郷を構成した地域の一部です。青海郷は、田上の五社川から三条の井栗、保内までの23箇村であったと伝えられています。加茂・田上とともに、この歴史的な文化圏の記憶を共有する土地です。
三条の文化を形づくってきた大きな要素は、五十嵐川と信濃川、そして火と鉄です。下田地域の山々から得られた木炭は、鍛冶に欠かせない燃料として五十嵐川を通じて運ばれ、金属加工を支えました。山の資源、川の運搬、水の力、職人の技術が結びつくことで、三条のものづくりは発展してきました。
今日の三条は、刃物、工具、金属製品のまちとして世界に知られています。しかしその根底にあるのは、技術だけではありません。素材を見極め、火を扱い、使う人の暮らしに応えるために手を動かす、長い時間をかけて培われた職人の思想です。信濃川流域には、縄文時代から続く雪国の文化も重なっており、三条市の長野遺跡を含む文化資産は「信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」として日本遺産を構成しています。
青海郷を、行政境界を越えて人びとが暮らし、祈り、働いた文化圏として捉えるとき、三条は「ものをつくる力」を担う場所です。加茂の山と川、田上の里山と湯、三条の火と鉄。それぞれの個性が交わることで、青海郷という土地の文化は形づくられてきました。
3
田上町|山のふもとで、里の恵みを育てる
田上町は、護摩堂山をはじめとする山並みと越後平野のあいだに位置し、青海郷の北側を構成した地域の一部です。青海郷は、加茂・三条・田上にまたがる23箇村の歴史的な文化圏として伝えられています。現在の町境は近代以降につくられたものですが、山、水、農、信仰を基盤とする暮らしは、長い時間をかけて隣接する地域と結ばれてきました。
田上を象徴する文化の一つが、竹です。里山の竹林から得られるたけのこは、この土地の春を告げる味覚として親しまれてきました。竹は食だけでなく、暮らしの道具、農作業、建築、祭礼に関わる素材でもありました。現在も田上では、竹林を生かした表現と地域づくりが行われています。
もう一つの大切な資源が、湯田上温泉です。護摩堂山の麓にある湯田上温泉は、元文3年(1738年)の開湯と伝えられ、「薬師の湯」として湯治客に親しまれてきました。山を歩き、湯に浸かり、季節の食を味わう時間は、田上の自然と暮らしを身体で知る体験でもあります。
田上は、加茂・三条の間にある通過点ではありません。山から平野へとつながる地形のなかで、竹、湯、水、農の恵みを育み、土地の暮らしを守ってきた場所です。青海郷という歴史を現在に引き寄せるとき、田上は、人と自然が近い距離で共にある文化を担っています。
4
糸魚川市・青海神社|同じ神を祀る、日本海の西の記憶
糸魚川市青海にも、椎根津彦命を主祭神とする青海神社があります。この神社は、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』に記された越後国頸城郡の青海神社に比定される式内社です。創建年は明確ではありませんが、伝承では726年に椎根津彦命の分霊が祀られたことを起こりとし、青海首と呼ばれる人びとが地域を開いた際に祖神を祀ったと伝えられています。
加茂市の青海神社もまた、青海首一族が同じ祖神・椎根津彦命を祀ったと伝えます。両社は、日本海を挟んで同じ神と同じ「青海」の名を今日まで伝え続けてきた、いわば双子のような存在です。青海郷から日本海側を西へたどると、糸魚川市青海に、同じ神名と地名を宿す場所がある――それは、加茂・三条・田上の青海郷を単独の物語に閉じず、日本海に面した越後の広い歴史と文化の連なりの中で見つめるための、重要な接点です。
糸魚川市青海では、「青海の竹のからかい」が現在まで伝えられています。若者たちが二本の竹を引き合い、その年の豊作を祈る小正月の行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。海に近い土地で、豊年と豊漁を願い、人びとが共同で祈りを形にしてきた文化です。
5
柏崎市・青海川|海へひらく地名と、街道の記憶
柏崎市の青海川は、日本海と山が近接する海辺の集落です。ここには青海神社が鎮座し、地名としての青海川、海辺の信仰、北国街道の往来が重なっています。青海川は、古くから北国街道が通り、佐渡金山の御金荷を運ぶ経路の一つでもありました。
加茂の青海神社、糸魚川市青海の青海神社、新潟市の旧青海社、そして柏崎市青海川の青海神社。この4つの土地には、「青海」という名と、日本海沿岸の地理という共通点があります。加茂・三条・田上では、山と川の中に「青海」の記憶が残り、青海川ではその名が日本海の海岸にまで届いている――名前と地理が一致していることそのものが、山道、川、海路を通って人と物が動いた越後の暮らしを物語っています。海は地域の外側ではなく、暮らしと文化を結ぶ道でした。
6
新潟市・金鉢山と蒲原神社|川が海へ出る場所
現在の新潟市中央区長嶺に鎮座する蒲原神社は、かつて「青海社」と呼ばれた神社を前身とします。『延喜式神名帳』には越後国蒲原郡の「青海神社二座」が記され、加茂市の青海神社と、新潟市の蒲原神社の前身である青海社が、その有力な比定先とされています。
社伝によれば、青海社は蒲原津に近い金鉢山に鎮座していました。金鉢山の位置は、現在の万代島付近にあった古い港と地形の記憶として伝えられています。蒲原津は、河川交通と海上交通が交わる港として栄え、青海社は地域の信仰の拠点でした。
加茂の青海神社には、かつて舟行神事が行われていた記録があり、元禄8年(1695年)に中止されたと伝えられます。加茂川から信濃川へ、そして日本海へ至る水系は、加茂を港と海の世界へ結びました。加茂の青海神社と新潟の青海社は、同じ椎根津彦命を祀り、『延喜式神名帳』の「青海神社二座」に比定されるという歴史的接点で結ばれています。
青海郷の物語は、加茂・三条・田上の内陸で完結しません。山から川へ、川から信濃川へ、信濃川から港と日本海へ。蒲原津と青海社の記憶は、この土地が古くから外の世界とつながっていたことを伝えています。THOU(SA)NDSは、その水の道を、現代の文化と人の交流によってもう一度見つめ直します。